昨年末、2022年のカレンダーが1つも無いことに気付きました。
今さら感はありますが、2022年のカレンダーが1つも無い!という事に気付いた時の寂しさについてお話していきます。
カレンダーって、ただ曜日やスケジュールを確認するためだけの物では無かったのかな?って初めて思いました。
大袈裟に聞こえるかも知れないけど、カレンダーを頂くという事は自分の存在確認でもあるのです。
カレンダーが無いのは、誰も私の存在を知らないのと同じなのでは?というちょっとした恐怖すら覚えました。
夫が退職して家に居る今、社会から孤立しているという感情が私の中にあったんだなぁということ。それが不安なのかどうかは自分でも分かっていないんですけど。
ただ、今まで我が家にあったカレンダーたち、私宛に貰っていた訳ではないので、急に自分が疎外感を感じるのもおかしな話なんですけどね(笑)
今までは、年末になるとあちこちから頂いたりして、使い切れずに新年を迎える前に処分してしまうこともあったカレンダー。もったいないなぁと思いつつ、こんなにあってもね、なんて思ったりもして。
ところが、昨年末は気付けば新年のカレンダーが1つもないじゃん!という事態になっていました。正直これは想定外というか、想像したことも無かった。
まぁ、ただカレンダーが欲しいだけなら100均でも売ってるし、購入すればいいんですけどね…
この場合、なんていうか社会から取り残されているというか、忘れられているような気がしたというか。
社会と繋がっていないんだという事を改めて再認識させられたような気がしてちょっと寂しい気持ちになったのです。
まさかカレンダー1つでこんなセンチメンタルな気分になるなんて、他人が聞いたら笑っちゃいそうですけど、きっと定年を迎えた家庭ではありそうだなとも思ったのです。
皆さんはカレンダーはお気に入りのものを購入する派ですか?
私も一時期、お気に入りのカレンダーを購入していた時期もありましたが
最近は頂き物のカレンダーで済ませていました。
我が家のリビングには万年カレンダーと、テーブルの上には卓上カレンダーを置いています。
その他、キッチンにもカレンダーを1つ掛けています。要するに、壁掛け用と卓上のもの、2つあれば十分なのです。
年末、様々なカレンダーが売られているのを目にしてもその時は買おうなんて思ってもみなかったけど、今年からは年末の仕事の1つにカレンダーを用意することも入れようかなと思いました。
それにしても、カレンダー一つでこんなに色々考える日が来るなんて思ってもみませんでした。
当たり前だと思っていることが当たり前ではないんだ、と分かっているつもりでもそれに直面するといつも驚いてしまう。
いかに私が毎日をのんきな気分で過ごしてきたかということですね。
でも悲観的になりすぎないのが私の良いところ! ちょっとセンチメンタルな気分になったけど、すぐに忘れるんだろうなぁ(笑)
それでは、本日も良い1日にしていきましょう!
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